芥川賞は純文学を対象に、直木賞は大衆小説を対象に選考される。でも現在では、生き方を考えるような純文学と、楽しむための大衆小説との境界はあいまいである。賞の性格から、芥川賞はその作品が芸術的ならば著者がその後活躍しなくてもかまわないが、直木賞は受賞後も活躍が予想される著者を選定するという考え方があるようだ。わしは小説といえば新聞小説くらいしか読んでいないが、芥川賞と直木賞だけは読んでいる。芥川賞は文藝春秋で直木賞はオール讀物で発表され、わしはこれを読むが、雑誌のため短編小説は全文が掲載されても長編小説は一部しか掲載されない。そのため、結末を知らず、数年後にテレビ化された時に結末を知ることがある。
これ以後は平成18年度上半期の受賞作について書きたいので、受賞作を読む予定の人はこれ以後を読まないでいただきたい。
第135回芥川賞は伊藤たかみ氏の「八月の路上に捨てる」である。脚本家を目指しながらも売れないため、車に乗って自販機に缶飲料を補充する仕事をする男の話である。佐藤敦のかつての奥さんとの話と現在の仕事の話とが交互に進んでいく。彼女とのなれそめから離婚するまでの話には興味をもてなかったが、自販機に飲料を入れていくキビキビとした仕事の話には興味をおぼえた。彼と組んで車に乗って仕事をする水城というバツイチ女性にも興味をそそられ、ひょっとしたらこの2人はいい関係になるのかなとも思ったが、意外な結末になり、それが自然でよかった。
第135回直木賞の受賞は2作ある。まず三浦しをん女史「まほろ駅前多田便利軒」は6話からなり、全体で一つの物語になっているが、わしは雑誌で読んだため載っていた2話だけ読んだ。「多田便利軒、繁盛中」は便利屋の多田がチワワを預かるが、持ち主は夜逃げし犬を捨てるために便利屋に預けたことがわかる。多田は犬をかわいがっていた子供の意向を聞くために持ち主の引っ越し先を探すが、親が捨てていったのがわかっているのに引っ越し先を探しに行くという話は馬鹿げている。そう思うわしは薄情なのだろうか。2話目の「働く車は、満身創痍」は塾から自宅へ中学生を送り届ける仕事を請け負ったが、その中学生はクスリの運び屋をやっていた。クスリの売人から命をねらわれるが、その解決方法がみごとだった。小中学生をクスリの運び屋にするアイデアもいい。作者が女性とは思えなかった。6話全体では多田と行天(ぎょうてん)の男2人の友情と親子の関係を描いているらしいが、読んだ2話からそのような感じはあまり受け取れなかった。
もう一つの受賞作の森絵都(えと)女史の「風に舞い上がるビニールシート」も6話からなっているが、各話は関連がない。オール読物にはそのうちの2話が載っている。表題作の「風に舞い上がるビニールシート」は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働く女性の物語である。里佳がUNHCRで働くようになったいきさつが書かれ、そこで働くアメリカ人エドは彼女のふくらはぎに魅せられ、2人は結婚する。婚姻届提出後25日でエドはザイールへ行く。その後も難民救済のためあちこちの国へ行く。里佳はエドに東京勤務を希望してもらい、たまには家庭的に過ごしたいと思うが、エドにはその気がなく2人には深い溝ができる。この小説で国連難民高等弁務官事務所がどのようなことをしているか知ることができてよかった。結末には不満だが今回読んだ中ではこれが1番好きだ。
「ジェネレーションX」の主人公は出版社の健一でもうすぐ40歳。発行した通販誌でとりあげた商品にクレームがつき、販売元の玩具会社の石津と謝罪に行く。健一が車を運転すると若い石津は仲間に携帯をかけまくり印象はよくない。健一は「通販で購入した商品に感情的なクレームをつけてくるタイプというのは、良くも悪しくも他人への期待と依存心が強く、少しでもそれを裏切られると激昂する一方、優遇されているかぎりは過剰なまでの好意をよせてくる傾向がある。」と思っている。石津はクレームの女性に何を言われても言い返さずに詫び続け、相手が怒り疲れた頃に丁重に弁解を開始し女性は気が済んだ。許してもらうために誠意をつくす石津を健一は見直した。石津は帰りの車の中でも明日十年ぶりに野球をやるため、高校時代のメンバーに携帯をかけまくる。しかし、社長から携帯で石津は明日の仕事を依頼される。石津は会社を辞めようかと思う。「十年のうちでたった1日、みんなと草野球ができないような人生はごめんだよな、って。十年のうちで1日くらい、野球のためになにもかも投げだすようなバカさ加減だけはキープしたいよな、って・・・・・みんなで俺たち、話してたんっすよ」と言う。「でも、いざとなるとできないもんっすよね。」とも言う。それを聞いた健一がしたことは・・・・・(すみませんが結末は書けません)
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