オリンピックと関東大震災

 オリンピックはリオデジャネイロに決定した。これでよかったと思う。もし東京になり、開催中に関東大震災があったらどうなるだろう。仮に競技場・宿泊施設・ライフライン等に被害がなく競技を続けられたとしても、下町等は相当な被害がでる。手抜き工事が発覚するかもしれない。オリンピックのため外国からきた大勢の報道機関は、地震報道に方向転換し、被害地に殺到して混雑し、救助活動が思うようにできなくなるかもしれない。東京は危険な都市だというイメージができてしまう。東京にいつ大地震か起きてもおかしくない現状ではオリンピックをやるべきではないと思う。

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山本兼一「利休にたずねよ」第140回直木賞

 この小説は24の章?からできており、最初は「死を賜る(しをたまわる) 利休」(天正十九年(一五九一)二月二十八日 朝 京 聚楽第 利休屋敷 一畳半)で利休の眼から切腹の日を描いている。2番目は「おごりをきわめ 秀吉」(利休切腹の前日-天正十九年(一五九一)二月二十七日 昼 京 聚楽第 摘星楼)で秀吉の眼から書かれている。このように時間をさかのぼり、いろいろな人の眼(家康、信長、古田織部等)から利休を描いている。利休が手放さない緑釉の香合の謎をからめて小説は進んで行く。
 利休の小説なら、利休がなぜ秀吉に死を命ぜられたかということが知りたくなる。この小説は利休が美の世界では秀吉より上なので秀吉は利休に頭を下げさせたかったのに、利休が秀吉に謝罪しなかったから死を命ぜられたといういうことがすぐ判明する。この小説は利休が死よりもなぜ美にこだわるのかを追究する小説である。その理由は19歳のとき利休が殺した女性にあり、その女性は誰か、最終章の前の章「恋 千与四郎」(与四郎(のちの利休)十九歳-天文九年(一五四0)六月某日 泉州 堺の浜)で明らかになる。そして、最後の章は「夢のあとさき 宗恩」(利休切腹の日-天正十九年(一五九一)二月二十八日 京 聚楽第 利休屋敷)で利休の妻宗恩(そうおん)の眼から利休切腹の日を描いている。緑釉の香合はどうなったか・・・・・
 茶道は総合芸術で茶の味覚だけでなく茶道具・茶花・所作の視覚も含めた総合芸術だと聞いたことがある。この小説では茶道の詳しい描写がされており、茶道が料理・香・掛け軸・建築までも含むことは知らなかった。

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天童荒太「悼む人」(いたむひと)第140回直木賞

 著者の天童荒太(てんどう あらた)は2000年に「永遠の仔」でベストセラーとなっている。

プロローグ 求めていらっしゃるのは、この人ではないでしょうか。女子高生の友人が刺されて死亡し、その後死亡場所でおかしな行動をしている人がいたので声をかけると「いたませて、いただきました。」と言いました。私は<悼む人>と呼んでいます。インターネットでこのサイトに行き当たりました。<悼む人>は誰ですか。

第一章 目撃者(蒔野抗太郎-Ⅰ)
 蒔野抗太郎(まきの こうたろう)は39歳で週刊誌の契約制の特派記者。残忍な殺人や男女の愛憎がらみの事件記事を得意とすることからエログロの蒔野で「エグノ」と呼ばれている。蒔野は死亡者を発見した坂築静人(さかつき しずと)を最初は犯人と思う。しかし、静人が新聞等で知った死者の亡くなった場所を次々と訪れ、悼みの儀式のようなものをするのを目撃して、善良かもしれないと思う。

第二章 保護者(坂築巡子-Ⅰ)
 58歳の坂築巡子(さかつき じゅんこ)は静人の母で、抗がん剤が効かずに在宅治療をしている。静人は全国を歩き回っていて連絡もとれないが、死ぬ前に会いたいと思っている。娘は独身27歳の美汐(みしお)で、高久保英剛(ひでゆき)と結婚を考えていたが、兄の静人が殺人事件などで人が死んだ場所ばかり訪ね歩くので警察沙汰になることも多く、高久保の家族・親戚が結婚に反対して高久保から結婚を断られる。

第三章 随伴者(奈義倖世-Ⅰ)
  奈義倖世(なぎ ゆきよ)は夫の甲水朔也(こうみず さくや)を殺した。4年の服役後、夫を殺害した場所に行くと静人が悼みの儀式をやっていた。倖世は甲水家に雇われて跡をつけられていたのかと疑うが、静人の後をついて歩いて、死者を悼む行動を見て、最初は宗教家、次に病人かもしれないとも思うが、平凡な人にも見えた。

その後の章は
第四章 偽善者(蒔野抗太郎-Ⅱ)
第五章 代弁者(坂築巡子-Ⅱ)
第六章 傍観者(奈義倖世-Ⅱ)
第七章 捜索者(蒔野抗太郎-Ⅲ)
第八章 介護者(坂築巡子-Ⅲ)
第九章 理解者(奈義倖世-Ⅲ)
エピローグ
となっている。見知らぬ死者を悼むために歩き続ける静人が、どうしてそんな変人になったのかがわかっていく小説かと思っていたが、そんな単純な話ではなく、様々な生と死、愛と憎しみ等が描かれていく。エピローグの後の「謝辞」によるとこの小説が完成するのに8年近くかかっているが、それだけの時間をかけただけの中身のある小説だ。坂築巡子の病状がリアルに描かれているが、参考文献が48冊書かれており、40冊くらいがガン等の医学関係の本と知り納得した。
 人が死んだ場合、その原因を聞くのが普通の人だろう。静人は原因を聞かず、人が意外に思う3つの質問をして、その返答によって悼みの言葉を考える。3つの質問の答えが人が生きる価値、生きた証(あかし)を示すということだろう。3つの質問が何か、ここに書くことは遠慮しておくが、愛に関する質問とでも言っておこう。

 なお、第140回直木賞は2作受賞で、もう1作は山本兼一の「利休にたずねよ」である。

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「ポトスライムの舟」津村記久子(つむらきくこ)第140回芥川賞

 長瀬由紀子は29歳独身で奈良県の古い家(築50年木造4LDK)に母親と2人暮らし。大学卒業後に入った会社で上司からのすさまじいモラルハラスメントが原因で退社した。今は昼間に工場のラインで乳液のキャップを閉めて検査する仕事(月給手取り13万8千円)を5時まで、午後6時から9時まで友人のヨシカが経営しているカフェで給仕(月~土曜、時給850円)、土曜日は商工会館で老人相手のパソコン講師をし、時々自宅でデータ入力の内職をする。タイトルのポトスライムは何のことかと思っていたら、観葉植物のポトスの1品種でライム色のポトスのことだった。工場にもカフェにも家にもポトスライムがある。
 「日比谷公園の年越し派遣村に行くのは男ばかりで女が行かないのは、女は自分が逃げ込める場所を作っているからだとこの小説でわかった。」という人がいる。この小説で男と女の違いがわかるかもしれない。友人と別れて帰宅する電車の中で今日使った食事代や交通費を思い出し、5,710円は給料1日弱に当たると計算するシーンがあるが、男でやる人は少ないだろうし、やっていたら惨めだろう。主人公のナガセが女のせいか、作者の表現がうまいのか、ワーキングプアを描いているのに暗さはない。主人公が男だったら、ネットカフェにでも泊まって暗い小説になるかもしれない。主人公は貧しいのに離婚調停中の大学の時の友人りつ子を泊めながらも、自分の年収とほぼ等しい163万円の世界一周旅行をするための貯金(それまでの貯金とは別)を続ける。昔の日本は貧しかったのに助け合って清貧だったが、今の日本人はひどいという嘆きを聞く。この小説は現代日本のワーキングプアを描いたとして高い評価をえているが、昔の日本人の美徳がまだあることを描いているような小説にも思えてくる。でも、ワーキングプアの実態はもっと暗い生活ではないだろうかという気がする。

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井上荒野(いのうえあれの)「切羽へ」(きりはへ)第139回直木賞

 私(麻生セイ)は31歳で、生まれた島の小学校の養護教諭をしている。夫の陽介は画家で同じ小学校の3年上だった。私も夫も東京にいたことがあり、私は無意識に標準語と島の言葉を使い、その使い分けにより他人から感情を読まれてしまう。時々身寄りのない老婆しずかさんの面倒をみる。しずかさんは坑夫の夫と結婚して3年経たないうちに落盤事故で死なれ、今では淫夢を見る。勤務している小学校は児童が9人だけで、教師は校長と教頭と月江の3人。月江は34歳で、恋人は東京の高円寺で古本屋と居酒屋を合わせたような店をやっており妻子がいる。恋人は月に1度か2度、本土から来るので本土さんと呼ばれている。新学期になって若い男教師の石和聡(いさわさとし)が来る。私は石和が気になるが先へ進めない。トンネルを掘っていく一番先が切羽で、それ以上は進めない。
 小さな島で不倫騒動が起こる。修羅場もあるが、のどかな島の物語という感じだ。大人のための少女小説という人もいる

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時が滲む朝(ときがにじむあさ)楊逸(ヤンイー)第139回芥川賞

 梁浩遠(りょうこうえん)の父は「資本家や地主だからと言って悪い人だと決め付けるのは、弁証法に矛盾する」と発言して1957年の「反右派運動」に巻き込まれ、北京大学を卒業する直前に第1陣の右派として西北の農村に下放された。梁浩遠は高校のクラスで成績1位を争った謝志強(しゃしきょう)と親友になり、2人とも秦都の秦漢(しんかん)大学に入学し勉強に専念する。大学では学生運動が盛んになる。官僚の汚職が多いから中国も民主主義が必要で、監督する野党がなければ腐敗は何時までも根絶できないという。帝国主義で資本主義のアメリカは何処よりも腐敗していると思っていたが、秦漢大学の若手教授で詩人の甘(かん)先生を尊敬する学生達は市政府前広場を拠点にして集会・デモ・ハンストを行う。甘先生は希望者を率いて2日間北京に行くことになり、浩遠と志強も学生で埋め尽くされた天安門広場に行った。秦都に戻った後に装甲部隊が天安門広場に突入し、 秦漢大学は厳重に警備され、甘先生は学業以外のことを禁止した。
 浩遠は残留孤児の長女である梅と結婚し、日本に来る。日本でも中国の民主化を目指す民主同士会に参加するが、民主化より金儲けのネタを仕入れようとするような人ばかりだった。

 以上が作品の概要だが、作者の楊逸は1964年黒龍江省ハルピン市に生まれる。母方の祖父は内戦が激しい1947年頃に地主のため解放軍に批判され息子を2人連れて台湾に逃げた。家には女たちだけ残され土地・家・家財道具を没収され、母は乞食のような生活を2・3年送る。結婚していた母のお姉さんに引き取られた後、母は父と結婚する。楊が5歳のとき、父は大学の先生のため文化大革命で下放され、慣れない農作業をする。3年半後の73年にハルピンに戻る。兄は人民解放軍に憧れていたが祖父が地主のため軍に入れず、共産党員にもなれない。絶対出世できないから楊は22歳の時、日本にいる母方の伯父をたより、ハルピンの大学を4年で中退して日本に来る。日本に来て2年目の1989年天安門事件がおこり、事件を見るため一時帰国する。日本に戻りお茶の水女子大学の地理学を専攻する。日本人と結婚するが離婚し、子供もいるから家でできる仕事として小説を書き始めたとのことだ。
 小説を読み始めたときには違和感のある文章だったが、読み進むにつれ気にならなくなった。芥川賞選考委員会でも稚拙な日本語は問題になったが、書きたいこと、書かねばならないことを持っていることが評価されている。
 作中には知られていない中国がでてくる。中国は共産党の一党独裁と思っていたが、人民代表大会には民主同盟や国民党がいる。しかし、機能しておらず、学生さえ存在を知っていないとのことだ。
 甘く切ない恋の歌は不健康な腐敗した資本主義とされていた。学生がテレサ・テンを始めとする香港や台湾の流行歌手の歌のカセットを独自のルートで入手して持ち寄り、外に漏れないように全員が布団にもぐって聞く場面が小説にある。これは、革命歌しか知らなかった作者がテレサ・テンを初めて聴いたときは衝撃で、甘い声の愛の歌が頭からはなれず、体がムズムズする経験を書いたものとのことだ。

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「私の男」桜庭一樹(第138回直木賞)

 24歳になった花(はな)は尾崎美郎(よしろう)と結婚する。花は小学4年のとき奥尻島の津波で家族を失い、遠い親戚で紋別市にいる25歳の腐野淳悟(くさりのじゅんご)にひきとられた。姓も竹中から腐野になった。淳悟も家族はなく、それから2人だけで暮らしていた。花が人を殺したため2人は東京に出た。花と淳悟は体の関係があり、花は淳悟と殺人の思い出から離れるために結婚したのだが、結婚してからも淳悟が好きで私の男と思っている。ここまで読むと、この小説は2人がどうして男と女の関係になったのか、どうして殺人を犯したのかという展開になることが予測され、物語にあまり期待はできないと思った。父親と関係を持っても父親が好きな心理も理解できず冷めた眼で読んでいた。しかし、第1章の最後で淳悟が予想外の行動を起こしてから小説にのめり込んでしまった。
 第2章を読むと美郎の視点から物語が書かれていた。第1章は花の視点から物語が語られていたので、作者に1本捕られたという感じがした。第1章のタイトルは「2008年6月 花と、古いカメラ」、第2章は「2005年11月 美郎と、ふるい死体」、第3章「200年7月 淳悟とあたらしい死体」というように、時間をさかのぼり、視点を変えて物語が進む。最後の第6章は「1993年7月 花と、嵐」で花の視点から津波で家族を失うこと等が書かれている。
 夢中になって読み終えたが、やはり父親と関係を持つ花には共感できない。15年前のフィルムを入れたままのカメラで写真をとるのも引っかかる。電池でなく機械式なら撮れないこともないが・・・。また、刑事の田岡が現像せずにフィルムを入れたままのカメラを持って淳悟に会いに来るのも不自然だ。でも、全体としてはよい小説だと思う。冬の北海道の情景が肌に感じられるようにリアルですばらしい。作者の桜庭一樹(さくらば・かずき)は36歳の女性で、描写は女性ならでの細かさがある。

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「乳と卵」川上未映子(第138回芥川賞)

   川上未映子(かわかみ・みえこ)さんの乳と卵(ちちとらん)とは、題名からしてスゴイ。男性作家ならエロいことになるのだが、女性が書いたこの作品は生理の様子など女にしか書けないリアルさ。東京で1人暮らしをしている主人公の女性のアパートへ、大阪から39歳の姉巻子とその娘の緑子が来る。緑子の同級生は生理があるが、緑子にはまだない。緑子は生理にあまりいい感じをもっていない。巻子は豊胸手術で頭が一杯で、その病院を探しに東京まで来た。巻子は10年以上前に離婚して楽でない生活のためにホステスをしている。緑子は豊胸手術を嫌っているが、母の苦労を知っているので言わない。普段の生活も口をきかず、言いたいことをノートに書いて母に見せる。叔母の主人公にも口をきかず、ノートに書いて意志表示をする。興味をもって最後まで読んだが、読み終わってみると女の生々しさだけが印象に残った。巻子と緑子が和解したことになっているが、本当に問題が解決したとは思えない。なぜ巻子が豊胸手術にこだわるのか理解できないし、巻子は豊胸手術をどう考えるように変わったのかスッキリしない。イマイチ。
 文芸春秋には選考委員の選評が載っており、受賞に賛成する人7人、受賞価値がないとする人1人、無視してこの作品をコメントしない人1人。

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第137回直木賞「吉原手引草」松井今朝子

  この本を初め見た時、漢字や古語で読みにくそうだと思ったが、読み始めるとすらすら読めた。吉原(遊郭)の特殊用語は会話の中で説明されるが、1度でてきても忘れることがあるので、巻末に用語の一覧表をつけてもらえば便利だ。
 物語はある男が花魁(おいらん)葛城の吉原からの失踪理由・方法を関係者に聞いて回るという形になっている。最初が「引手茶屋 桔梗屋内儀 お延の弁」で引手茶屋(大きな妓楼は引手茶屋を通さねば入れない)のお延が話したことを書いてある。次が「舞鶴屋見世番 虎吉の弁」で虎吉が話したことが書いてある。このように○が話したことを○の弁として、16の弁があり、最後の17番目は「詭弁 弄弁 嘘も方便」となって、すべてが明かされる。○の弁は幇間、芸者、女衒(貧しい家から女子を買い遊郭に売る仕事)、妓楼の下働き・番頭等様々であり、○の弁で○の生き方がわかり、1つの○の弁で1つの小説に匹敵する内容を持つものが多く、すぐれた小説である。花魁は客に衣裳をねだることはできても金銭を無心することはしにくいので、もらった着物を古着屋に売ったりする。しかし、バレては困るので染め直したり、仕立て直して売る。頭の良い葛城は売ることを考え、誰でも着られそうな柄で薄い染返し易い色の着物を新調するなどと、花魁の生活や吉原の状況を詳細に記述している。作者が女性のせいか露骨な性描写はない。最後で思いもかけない結末になるのはよいとしても、廓の御法度破りまでして葛城の失踪を手伝う人が何人もいるのは都合がよすぎるような気がする。しかし、それを除けば全体として申し分のないすばらしい小説である。

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第137回芥川賞「アサッテの人」諏訪哲史

 「ポンパ」とか「チリパッパ」とか意味不明な言葉をときどき言う明(あきら)についての小説である。明の結婚のいきさつや、妻朋子から見た明、私(甥)から見た叔父明、明の失踪後見つかった明の日記等が書かれている。明は妻に死なれてますます変人になる。意味不明なことを言うようになる原因として、明は二十歳まで吃音だったことが書かれる。吃音の人は、どの音・どの言葉が発音しにくいか詳細に書かれている。吃音について調べて書いたのだろうが、これだけ詳しいと作者も吃音だったのではないかと思ってしまう。
 「幾十枚かの草稿を経て、結果、やむなく折合いをつけることになりそうな『アサッテの人』最終稿の書き出しがすなわちこれである。」「第1稿を読み返していると、朋子さんの筆を模しているはずの自分の文章が」などと、小説の中で私(甥・作者)が小説を書いているということになっている。作者がこのような形で小説に出てくるのは画期的なことだと述べる人もいる。でも、以前からマンガでは作者がマンガの主人公に意見していたりしているので、作者が小説のなかに出て来るからと言って画期的なこととは言えないような気がする。「次のような加筆の可能性に食指を動かされた~Aでの対話。Bの生活の模様。Cとの劇的遭遇~こうした加筆をすべて放棄して」などと書いているが、評論家から「Aでの対話を詳しく書けばよかった。」などと言われないように、自分の手の内を明かしているのではないかとワシは邪推した。
 意味不明なことを言う変人についての小説だから、小説に愛・勇気・感動などを求めている人には向いていないだろう。普通の小説にあきたらず、問題提起型の小説が好きな人等にはよいだろう。とりわけ面白いと思いながら読んだわけではないのに、一気に読んでしまったのは、さすが芥川賞受賞作だと思う。

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青山七恵「ひとり日和」(第136回芥川賞)

 20歳の三田知寿(ちず)の両親は彼女が小さいころに離婚して、母親と2人だけで暮らしていた。教師の母親は中国で教えることになったが知寿は一緒に行かず、東京に行き1人暮らしすることを望んだが、東京にいる遠い親戚の家に下宿することになった。その家は71歳の荻野吟子おばあさんが1人で住んでいた。知寿は勉強が嫌いで大学にいかずフリーターをしていたが、東京に来てからもバイトで暮らす。漠然と不満で悲観的な楽しくない日々を過ごし、セックスした恋人にもふられる。吟子おばあさんは社交ダンスで知り合ったおじいさんと仲良くなる。知寿は若さを見せつけ意地悪もするが、おばあさんは受け流す。それでも2人はそれなりに思いやり波風なく暮らしていく。知寿は既婚者ともつきあう。不倫になるかもしれないが、なるようにしかならないと無気力な生活を続ける。
 生きる意味を見いだせず虚無感を持つ孤独なフリーターの生き様をよく描いていると思う。でも駅の売店のアルバイトで商品の価格を苦もなく覚えられるくらいの能力があるのに向上心がないような奴は嫌いだ。(直木賞は受賞作なし)

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芥川賞・直木賞

芥川賞は純文学を対象に、直木賞は大衆小説を対象に選考される。でも現在では、生き方を考えるような純文学と、楽しむための大衆小説との境界はあいまいである。賞の性格から、芥川賞はその作品が芸術的ならば著者がその後活躍しなくてもかまわないが、直木賞は受賞後も活躍が予想される著者を選定するという考え方があるようだ。わしは小説といえば新聞小説くらいしか読んでいないが、芥川賞と直木賞だけは読んでいる。芥川賞は文藝春秋で直木賞はオール讀物で発表され、わしはこれを読むが、雑誌のため短編小説は全文が掲載されても長編小説は一部しか掲載されない。そのため、結末を知らず、数年後にテレビ化された時に結末を知ることがある。

 これ以後は平成18年度上半期の受賞作について書きたいので、受賞作を読む予定の人はこれ以後を読まないでいただきたい。

第135回芥川賞は伊藤たかみ氏の「八月の路上に捨てる」である。脚本家を目指しながらも売れないため、車に乗って自販機に缶飲料を補充する仕事をする男の話である。佐藤敦のかつての奥さんとの話と現在の仕事の話とが交互に進んでいく。彼女とのなれそめから離婚するまでの話には興味をもてなかったが、自販機に飲料を入れていくキビキビとした仕事の話には興味をおぼえた。彼と組んで車に乗って仕事をする水城というバツイチ女性にも興味をそそられ、ひょっとしたらこの2人はいい関係になるのかなとも思ったが、意外な結末になり、それが自然でよかった。

第135回直木賞の受賞は2作ある。まず三浦しをん女史「まほろ駅前多田便利軒」は6話からなり、全体で一つの物語になっているが、わしは雑誌で読んだため載っていた2話だけ読んだ。「多田便利軒、繁盛中」は便利屋の多田がチワワを預かるが、持ち主は夜逃げし犬を捨てるために便利屋に預けたことがわかる。多田は犬をかわいがっていた子供の意向を聞くために持ち主の引っ越し先を探すが、親が捨てていったのがわかっているのに引っ越し先を探しに行くという話は馬鹿げている。そう思うわしは薄情なのだろうか。2話目の「働く車は、満身創痍」は塾から自宅へ中学生を送り届ける仕事を請け負ったが、その中学生はクスリの運び屋をやっていた。クスリの売人から命をねらわれるが、その解決方法がみごとだった。小中学生をクスリの運び屋にするアイデアもいい。作者が女性とは思えなかった。6話全体では多田と行天(ぎょうてん)の男2人の友情と親子の関係を描いているらしいが、読んだ2話からそのような感じはあまり受け取れなかった。

もう一つの受賞作の森絵都(えと)女史の「風に舞い上がるビニールシート」も6話からなっているが、各話は関連がない。オール読物にはそのうちの2話が載っている。表題作の「風に舞い上がるビニールシート」は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働く女性の物語である。里佳がUNHCRで働くようになったいきさつが書かれ、そこで働くアメリカ人エドは彼女のふくらはぎに魅せられ、2人は結婚する。婚姻届提出後25日でエドはザイールへ行く。その後も難民救済のためあちこちの国へ行く。里佳はエドに東京勤務を希望してもらい、たまには家庭的に過ごしたいと思うが、エドにはその気がなく2人には深い溝ができる。この小説で国連難民高等弁務官事務所がどのようなことをしているか知ることができてよかった。結末には不満だが今回読んだ中ではこれが1番好きだ。

「ジェネレーションX」の主人公は出版社の健一でもうすぐ40歳。発行した通販誌でとりあげた商品にクレームがつき、販売元の玩具会社の石津と謝罪に行く。健一が車を運転すると若い石津は仲間に携帯をかけまくり印象はよくない。健一は「通販で購入した商品に感情的なクレームをつけてくるタイプというのは、良くも悪しくも他人への期待と依存心が強く、少しでもそれを裏切られると激昂する一方、優遇されているかぎりは過剰なまでの好意をよせてくる傾向がある。」と思っている。石津はクレームの女性に何を言われても言い返さずに詫び続け、相手が怒り疲れた頃に丁重に弁解を開始し女性は気が済んだ。許してもらうために誠意をつくす石津を健一は見直した。石津は帰りの車の中でも明日十年ぶりに野球をやるため、高校時代のメンバーに携帯をかけまくる。しかし、社長から携帯で石津は明日の仕事を依頼される。石津は会社を辞めようかと思う。「十年のうちでたった1日、みんなと草野球ができないような人生はごめんだよな、って。十年のうちで1日くらい、野球のためになにもかも投げだすようなバカさ加減だけはキープしたいよな、って・・・・・みんなで俺たち、話してたんっすよ」と言う。「でも、いざとなるとできないもんっすよね。」とも言う。それを聞いた健一がしたことは・・・・・(すみませんが結末は書けません)

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